ふるさと納税

よく分かっていないのだけど、「ふるさと納税」という納税の仕方があって、それをすると「ふるさと」から納税額の三割ぐらいのお礼の品が送ってくるそうな。
本来ならその「ふるさと」というのは、自分が生まれ育ったところなのだけれど、どこの市町村を選んで納税しても違法ではないそうな。
だから巷ではお礼の品がいい市町村を選んで納税することが行われているそうな。
何かすっきりしないというか何か心にひっかかる納税の仕方のように思えるのですが、つましい年金暮らしのささやかなお楽しみということで、我が家でも数年前から地方税のほとんどを「ふるさと納税」で納めています。
先日は西伊豆町に1万円したらすぐにこれ↓が送ってきました。


すごい量の干物です。
お金持ちは「ふるさと納税」だけで食べていくのも可能でしょうね。




昨日はさすがに使い物になりませんでした。一日中グダグダしていました。
今日はすっかり通常ペース。
急いでしなければならないことがないので、草ぬきをしたり、花がらをカットしたり、種まき苗をポット上げしたりなど気の向くままに。


夕方IMIさんが、以前からあげると約束していた、もう使うことがなくなった大きい陶鉢3個と大量の素焼き鉢の破片を引き取りに見えました。
素焼き鉢のかけらは庭の空いているところに草が生えないように敷くそうな。



シュウメイギクの中で一番好きな白、一重


↓アニスヒソップ



サルビア・インボクラータ


↓見返り草


↓コキア


10月21日の日記

ホテルでの朝食を済ませた後これからどうするかを考えました。

病院の見舞い時間は多分午後からのはず。特例だとしてもあまり早くに行くのも常識外れなので、午前中は小学校時代に暮らした所に行ってみるか、ブログ友を訪ねてみるか、父の墓所を訪問するか、名所を60年ぶりに再訪問してみるか、ホームセンターに花を買いに行ってみるかなどと思いを巡らしては、億劫、レジャーに来たわけではない、母と過ごす時間が短くなるなどいろいろの理由ですべて却下。



中学に同じ時に編入した三人のうちの一人、お互いの娘一家がアメリカのアイオアの同じ町に同時期に住んでいた、数年前に会ってランチしながら思い出話をした旧姓NNさんに電話しました。
昨日の同窓会の幹事が、NNさんのメールアドレスを知りたいと言っていたことを知らせたいためもあって。
いいタイミングに電話したようで話がはずんで1時間以上も話していました。


9時半ごろチェックアウトして病院に。
母はウトウトから目を覚まして昨日にもましていろいろ話かけてきますが、やはり全く聞き取れません。
慣れてもワァ〜ワァ〜としか聞こえません。
母の手の甲のいかにもかゆそうなかさぶたをさすっている私の手を払いのけたりたたいたり、何やらワァ〜ワァ〜と言っては手を顔に翳し、次にはワア〜ともキァーとつかぬ大きな声で叫びます。
その声は子供が大泣きする時と同じ声。
訴えたいことがあるのに誰にも分かってもらえないもどかしさやじれったさが感じ取れる声。
実際母の目尻には涙がにじんでいるので何とか母の思いをくみ取ってやりたいと思うのですが、意思の疎通が全くできません。
意思の疎通ができないまま、水のいらないシャンプー剤を使ってシャンプーしたり、ウェットテッシュで服から出ている所を拭いたりしていました。それに対しては抵抗がなかったので。




病院から数駅離れた大学の街にランチに行きました。
大学がある街なら食堂も本屋もあると思って。
でも駅前にはそれらのものは何もなくて通りががりの学生さん尋ねた、駅から少し離れた所にある食堂に行ってみました。
学生さん推奨の店らしく、少なくてしてもらっても食べるのは半分がやっとというくらい量が多く砂糖甘くてがっかりでした。


病院に戻りました。
やはり母と意志の疎通がはかれません。
しきりに、・・・して!らしきことをいうのですが、その内容が伝わりません。



3時ごろになってようやく少し意志の疎通ができるようになってきました。
私の手を払いのけながら痛い!  手の甲のかさぶたはかゆいのではなく痛いのだと分かりました。
お金はあるね。
十分あるよ、残ったら○○子さん(義妹)にも分けるねと言うと頷きました。
なんとなく喉が渇いている様子が伝わって来たので水を飲みたいの?と聞くと頷きます。
ここにきてわかりました。
常に口を開けたままなので喉が渇いているのです。母はもともとお茶派ではなく水派。母は水を飲みたいのです。ごくごくと。手をあげ顔に持ってくるのは水を飲む仕草で、喚くのはそれが叶えてももらえないのでじれているのだと気づきました。
喉の渇きを訴えてもなかなかわかってもらえないし、分かってもらえても誤嚥の恐れのためにゼリーで固めた水しかのませてもらえません。
ドロドロ、ベタベタが嫌いな母のこと、さぞつらいでしょう。
母の言動の意味を看護婦さんに伝えました。
腔内のケアーをした後、今から水のゼリーを食べさせてもらうというところで、4時過ぎに病室を後にしました。


この日の午後入浴させてもらったせいか、頬に赤みがさして朝より元気そうになった母は、私が帰るのがわかっているのかどうかじっと見送っていましたが、涙ぐみながら見送られるより帰りやすかったです。



Kは、この日かなちゃんの早帰り支援のため次女家に行ってきました。
どういう理由でか、5時に早帰りだったパパに姉弟を託し、いったん自宅に戻った後に成田に私を迎えに来てくれました。
初めてJRを乗り継いで帰宅する予定でしたが、早く帰ってこられたので、ラストオーダー10時半の百香亭に10時頃滑り込むことができました。

10月20日の日記 (2)

ホテルでゆっくり、予定の服、アクセサリー、靴に着替え、中学校の同窓会会場に。

出席者は30数名。
うち女性が10名あまり。
私たちの中学の同期は、50人学級男クラス2クラス、女クラス1クラスの総勢150人でした。
出席者の男女の比率は在校の時と同じ。
案外に出席者が少ないのは、この会が毎年福岡で開かれる他に東京でもよく開かれ、全学年の同窓会は毎年福岡、東京で開かれていること、私たちの学年でいえば、150人中100人が同じ高校に進学、その高校でも学年、全学年、各支部で、同期会、同窓会がよく開かれていることが関係しているのでしょう。
つまりはしょっちゅう会っているわけで。


この日に合わせて実家を整理しにきたという、東京の会でよく会っている人たちも何人かいました。
今は帰省中の、アメリカの人と結婚してロスで暮らしている女性には卒業以来初めて会いました。


私は2年生になる時にこの中学に偏入しました。
編入生であり、またクラスメートには教授、医者、大商店、大会社社長、市会議員などの娘さんたちが多く、自分より裕福な暮らしの人ばかりで何かと話が合わないので、私は、この同窓会にはあまり出ませんでしたし、出ても静かにしていました。

でもこの日は違っていました。
福岡での同期会に出るのはおそらくこれが最後になるから存分に楽しむと決めていましたから。
はじけました。
ビール、ワインをぐいぐい飲みながら、男性相手に笑いながらたくさんおしゃべりしました。


タクシーで2次会に行きました。
他の場所に行ったのか、帰ったのか、2次会場所に来たのはわずか6名。
ここでもおしゃべりに花を咲かせ11時過ぎに散会しました。



ここでのお支払いは長年裁判所の調停員をしていて少し前に国から表彰されたという、中学、高校を通じて帰り道が私と同じだった女性、旧姓Nさんが持ってくれました。
2次会場への移動のタクシー代もNさん。
自宅帰るついでにタクシーで私をホテルに送ってくれたのもNさん。


同期生に生まれも育ちもハイソな人が多いことはデメリットよりメリットが多いと今は思います。

10月20日の日記 (1)

今回の福岡行の飛行機は往復とも成田発着のジェットスターでした。
ジェットスターで行くのは2度目、私一人で行くのは今回が初めてなので、Kの運転で早め(飛行機の出発時間の2時間前)に出発。


飛行場から電車、バスと乗り継いで、12時丁度に予め予約していた「あつ賀」に到着。
この日の献立は、魚のあらのすき焼き風煮、鯛そうめん、茶碗蒸し、凝った握り8?巻、プリン。
鯛そうめんの汁が少しぬるかったりそうめんがほぐれていなかりなどの不具合がいくつかあったし、税込み1080円から1300円値上がりしていたけれど、やっぱり◎でした。


ホテル(あつ賀から歩いてすぐ)にチェックイン、荷物を預けて病院に。


病院に着いたのは1時半ごろ。
母は一段と痩せてはいましたが、思いのほか元気そうでした。



主治医の先生があなたは○○子さんですか、とよぽびかけるとうなづくので自分の名前はわかっているようですが、私のことは、わかっているのかどうか表情からは読み取れません。
眠っている時間も多く、目覚めている時間には何か話しているのですが、口を開けたまま話すので全く聞き取れません。
今までは慣れたらだんだん母の言っていることが聞き取れるようになっていたのですが、今回は全くダメ。音としか聞こえません。
何とか母と会話したくて、あてずっぽうに、何々なの?何々したいの?といろいろ尋ね、母がうなづくか、黙るのは母の諾、首を振るのは否と受け取ることで、母の意思を探りました。
この方法でいくつか母の意思が私に通じました。



病院の前のダイソーに買い物に行き、顔のむだ毛切り、顔そり、爪切り、ブラッシング。



四時過ぎに病院を出てホテルに戻りました。



ホテルの部屋はツィンの、一人ではもったいないくらい広い部屋で、パッケージツァーの時よりかなり立派。
今回の福岡行は、パッケージツァーより安くあがったので、これからはホテルと飛行機を別々に予約を取ることに決めました。
LCCも以前より怖さを感じなっかし。
(昔乗ったジェットスターに乗った時に飛行機が飛行中にミシミシ、ガタガタと音をたてるのでとても怖い思いをして以来LCCには乗らないことにしていたのですが)

旅支度

20日〜21日、1泊2日の予定で中学校の同窓会出席を兼ねて母を見舞いに行ってこようと思います。
(母の容体のことですが・・・昨夜の弟からの電話によると、胃ろうだけになったので24日に退院して元の施設に戻ることになったそうです。)
いくら気を付けていても毎度何かしら忘れ物をする私なので、一層気を付けて準備したくて今日は朝から外には出ず旅支度。


まずは絶対忘れてはいけないもの―チケット、薬、財布(カード、お金、免許証などを入れている)、替えの下着ーなどの準備をして、それからあちこちに電話。
予約だったり打ち合わせだったり。
次に服装計画。
気温と天気を調べ、TPOを考えかつ荷物をあまり増やさないようにあれこれ服を選んで試着。
服って着てみないとわからないことがあるから。
で、結局次のようになりました。



20日、往路と病院↓



20日、同窓会↓



21日、病院、復路↓





バッグはこれを↑ずっと使い、靴は同窓会用に1足持っていき・・・




旅支度は終わったので、今日のうちにどうしてもしなくてはいけないことはあとは昨日植え付けたものへの水かけだけ?

ナイスディ

今日は、すっきりと晴れて、寒くもなく暑くもなく、急でしなければならないこともなく、大きく心にかかっていることもない、ナイスディでした。


それで午前3時間、午後2時間ほどのんびりと外仕事をしました。
駐車場に濃い目に薄めたハイターを撒いて、デッキブラシでレンガをごしごし。
いつの間にか勝手に生え高さ70cmぐらいに育っていた、槿の白花笠の忘れ形見を育ってもいい場所に移動。
ポットに拾い上げて育てていた、いつの間に芽生えていたクレマチスのアーマンディーと思しきものの半分を鉢あげ、半分を地植え。
そんなことをして過ごしました。





↑最近何かと噂になっている、ハマギク
我が家の大きく育っていた一代目のハマギクは、植えて15年目の去年☆に。なのでこれは2代目。
未だ数輪しか咲いていません。


↓以下2枚、ホトトギス

↑(セキヤノアキチョウジとのツーショット)



銀を磨く

最近私は急に両の手首を腕輪、バングル、ブレスレット、時計などを重ね付けすることに燃え始めました。
私が何かに急に燃えることはよくあることですが、そのきっかけとか動機とかは自分でもよくわかりません。
まあ気運というか、気分というか。
すごい勢いで新しい、手首を飾るアクセサリーが増えています。
一方で、何十年前にもそういうことがあって、何度かの「捨てる!」の気分の時にも整理することできず取ってあったものを見直してみました。
中にSIVER925の刻印があったものが2個ありました。
汚くて銀らしくない↓ので「銀を磨く」と検索して試してみました。



まずはステレスボールのアルミホィールを敷いて「物」を入れ、小さじ1〜2杯の重曹をふりかけ熱湯をかぶるくらい注いで泡が出なくなるまで待つという方法。
結果はこれ↓


少しきれいになったかしら。

まだ満足できないので、続いて、

ステンレス鍋に「物」がかぶるくらいの湯を沸かし、アルミホィールの切れ端と「物」を入れ、食塩を大匙1杯入れて5分ぐらい煮るという方法。
結果はこれ↓


あまり変化しませんでした。

結局二つの方法で試してもあまり輝きは戻ってきませんでした。

使うかどうか迷っています。


それにしても私の指、爪、汚いですねー。
お芋を掘った後だったのでいつもより汚いです。