10月21日の日記

ホテルでの朝食を済ませた後これからどうするかを考えました。

病院の見舞い時間は多分午後からのはず。特例だとしてもあまり早くに行くのも常識外れなので、午前中は小学校時代に暮らした所に行ってみるか、ブログ友を訪ねてみるか、父の墓所を訪問するか、名所を60年ぶりに再訪問してみるか、ホームセンターに花を買いに行ってみるかなどと思いを巡らしては、億劫、レジャーに来たわけではない、母と過ごす時間が短くなるなどいろいろの理由ですべて却下。



中学に同じ時に編入した三人のうちの一人、お互いの娘一家がアメリカのアイオアの同じ町に同時期に住んでいた、数年前に会ってランチしながら思い出話をした旧姓NNさんに電話しました。
昨日の同窓会の幹事が、NNさんのメールアドレスを知りたいと言っていたことを知らせたいためもあって。
いいタイミングに電話したようで話がはずんで1時間以上も話していました。


9時半ごろチェックアウトして病院に。
母はウトウトから目を覚まして昨日にもましていろいろ話かけてきますが、やはり全く聞き取れません。
慣れてもワァ〜ワァ〜としか聞こえません。
母の手の甲のいかにもかゆそうなかさぶたをさすっている私の手を払いのけたりたたいたり、何やらワァ〜ワァ〜と言っては手を顔に翳し、次にはワア〜ともキァーとつかぬ大きな声で叫びます。
その声は子供が大泣きする時と同じ声。
訴えたいことがあるのに誰にも分かってもらえないもどかしさやじれったさが感じ取れる声。
実際母の目尻には涙がにじんでいるので何とか母の思いをくみ取ってやりたいと思うのですが、意思の疎通が全くできません。
意思の疎通ができないまま、水のいらないシャンプー剤を使ってシャンプーしたり、ウェットテッシュで服から出ている所を拭いたりしていました。それに対しては抵抗がなかったので。




病院から数駅離れた大学の街にランチに行きました。
大学がある街なら食堂も本屋もあると思って。
でも駅前にはそれらのものは何もなくて通りががりの学生さん尋ねた、駅から少し離れた所にある食堂に行ってみました。
学生さん推奨の店らしく、少なくてしてもらっても食べるのは半分がやっとというくらい量が多く砂糖甘くてがっかりでした。


病院に戻りました。
やはり母と意志の疎通がはかれません。
しきりに、・・・して!らしきことをいうのですが、その内容が伝わりません。



3時ごろになってようやく少し意志の疎通ができるようになってきました。
私の手を払いのけながら痛い!  手の甲のかさぶたはかゆいのではなく痛いのだと分かりました。
お金はあるね。
十分あるよ、残ったら○○子さん(義妹)にも分けるねと言うと頷きました。
なんとなく喉が渇いている様子が伝わって来たので水を飲みたいの?と聞くと頷きます。
ここにきてわかりました。
常に口を開けたままなので喉が渇いているのです。母はもともとお茶派ではなく水派。母は水を飲みたいのです。ごくごくと。手をあげ顔に持ってくるのは水を飲む仕草で、喚くのはそれが叶えてももらえないのでじれているのだと気づきました。
喉の渇きを訴えてもなかなかわかってもらえないし、分かってもらえても誤嚥の恐れのためにゼリーで固めた水しかのませてもらえません。
ドロドロ、ベタベタが嫌いな母のこと、さぞつらいでしょう。
母の言動の意味を看護婦さんに伝えました。
腔内のケアーをした後、今から水のゼリーを食べさせてもらうというところで、4時過ぎに病室を後にしました。


この日の午後入浴させてもらったせいか、頬に赤みがさして朝より元気そうになった母は、私が帰るのがわかっているのかどうかじっと見送っていましたが、涙ぐみながら見送られるより帰りやすかったです。



Kは、この日かなちゃんの早帰り支援のため次女家に行ってきました。
どういう理由でか、5時に早帰りだったパパに姉弟を託し、いったん自宅に戻った後に成田に私を迎えに来てくれました。
初めてJRを乗り継いで帰宅する予定でしたが、早く帰ってこられたので、ラストオーダー10時半の百香亭に10時頃滑り込むことができました。