泳げません

夏になると私たち二人は孫たちを連れてよくプールに行くのでさぞかし私たちは水泳が上手なのだろうと思われているかもしれませんが、Kはともかく、私は全く泳げません。
水に浮くことはできますし、バタ足、息継ぎなしで足をつかずプールの横だったら行くことができるので、金槌ならぬ木槌ですと自嘲しています。
私たちが子供のころは小学校にプールがないのは普通でした。
だから水泳は家の近くの川や池で、子供同士の遊びの中で自然に覚えたのでしょうが、私は、家の大人からは、やれ河童が出るの、水門に引き込まれるのと、子供だけで川に行くことを禁じられていました。
かといって大人たちは誰も付き合ってくれなかったので、私は泳ぎを知らずに10歳まで過ごしました。
10歳、小4で引っ越して卒業まで3年間通った小学校は海に近いところ。と言っても子供の足で数十分はかかりましたが。
その小学校では年に数回体育の時間に海に行きました。
これが私の水泳の初めて体験。海水でしたのですぐに体を水に浮かせることが出きるようになりました。
中一、学校にプールなし。体育の水泳授業なし。家で海や川に遊びに行くことなし。
中二で編入した中学校には立派なプールがありました。男子生徒の前で水着になること(中2から女子クラス、男子クラスに分かれる学校だったので水泳の授業を男子と一緒に受けることはなかったですが、それでも男子の視線を意識していました)、泳げないことがわかることの恥かしさで夏の体育の授業は何かと理由をつけてサボタージュしていましたが、ここの水泳指導と水泳実技テストのおかげで私は木槌にまでは成れました。
高校は海の傍だったので、体育の時間に海に行きましたが、これも理由をつくってさぼり、出席した時も水泳指導が厳しくなかったのでお茶を濁してやり過ごしました。
こんな調子だったので私は今も木槌のまま。
泳げた方がいいとはじめて思ったのは大学4年の時。公立小学校の採用試験は県によって内容が異なるけれど、○○県では水着試験があって、25m(だったかな、不確か)泳げないと不合格となると聞いたから。
私は小学校教員養成課程ではなかったので、その試験を受けることはなかったのですが、それを聞いて物事によってはできないことが自分の生き方を狭め将来を変えることもあるのだと気づいたわけです。
それと同時に、自分の体験から物事には習得するのに適当な時期があるのだとも思いました。
なので、私は水泳、ピアノ(水泳と同じようにバイエル程度を弾けることが○○県の小学校教員採用試験で求められることを知ったから。)自転車乗り(私は長女を生んだ後、一人で練習して乗れるようになりました。)を子供の時に義務化し、大学一年の時に自動車の運転免許を取らせました。(自分が取得したのは運転ができたらいくらかは楽だったろう子育ての一番大変な時が過ぎた35歳の時)
これは今になっても間違いではなかった、よかったとおもっています。
そんなわけで私たちは孫たちのプール行や自転車の練習の機会が増えるようにずーっと心掛けているのです。




↓ホスタ

↑、↓、ともにミソハギ。種類が違うのでしょうか、少し花の大きさが違います。

↓以下2枚、フロックス・パニキュラータ


↓クロコスミアのジョージダビットソン

↓ロベリア これは宿根タイプ。いろいろな色のロベリアを植えてみましたが宿根してひとりでに増えるのはこの色だけ。花の色によって微妙に性質が違うのかしら。

ルドベキアのヘンリーアイラーズ これは私の庭が好きなのかも。2m以上の高さに育っています。かがませて写しました。



ツルニンジン