怒涛の2日間 (その2)

13日

ホテルをチェックアウトして母の所に出かようとしている矢先、弟から「K叔父(6人兄弟だった亡き父の末弟)が昨夜8時ごろ亡くなった。」との電話が入りました。
86歳のその叔父は、かなり前に脳梗塞を再発して以来入退院を繰り返していて、数か前からは誤嚥性肺炎でかなり重い状態が続いていました。
とはいえ、父の兄弟の三男(上の妹の養父)の時と同じく、たまたま私が福岡に行っているときに亡くなるとは・・・複雑な気持ちです。


弟と何度も電話をやりとりして、弟は勤務後お通夜にいく、私たち(この日下の妹も母の所に来ることになっていました。)はいかなくて、ご香典は姉妹が個別でそれぞれにという事に決定。

9時ごろ母の所に行くと、母は、出勤前に立ち寄った弟からK叔父のことを聞いていました。

母の気持ちを確認し、今回は私の帰りの飛行機を一泊の代わりにいつもより遅い時間にしていることを確認してから、あちこちに電話しているうちに、父の6人兄弟の残る1人の、今年で91歳か92歳かの4男の叔父も13日朝亡くなったとわかって仰天。
気持ちと考えを整理し、私たち二人(私と下の妹)は着の身着のままで通夜の前にK叔父に会いに行くことに決めました。

母の居る施設から地下鉄を乗り継ぎ、博多駅へ。そこで広島から来た妹と落ち合っても弁当を買って高速バスで約1時間。
タクシーにコンビニによってもらって、香典袋を用意したリ、地味な洋服に着替えたり(私)して母の実家を素通りして亡き叔父の家に。
きれいに整えられた、斎場に行く前の亡き叔父のご遺体にゆっくり会ってきました。
私にとってこの叔父は特別の叔父でした。
私は10歳まで父の実家で祖父母と一緒に暮らしていましたが、その時に、少年特攻隊上がりの叔父と一時一緒に暮らしたことがありました。
私は、従兄弟の中で独身時代のK叔父を一番よく記憶している人なのです。


タクシー、高速バス、タクシーと乗り継ぎ、途中で母が食べられそうなものを買って母のところに戻ったのは3時半。
お急ぎで食べたり話したり爪を切ったり耳かきしたり・・・5時に母の所を後にしました。
私たちが帰る時間が近づくてくると母が唐突に今度はいつ来るねと尋ね、何度も何度も同じ質問を繰り返します。たまりませんでした。

地下鉄、バスと乗り継ぎ博多駅で妹に別れ、私は再び地下鉄に乗って飛行場へ。
後はまず順調で、家に着いたのは11時過ぎでした。


7月1日から15日まで博多は山笠。でもその行事を楽しむゆとりは全くありませんでした。
泊まったホテルの近くとJR博多駅で、通りすがりに飾り山笠を2つ見かけただけでした。