母の見舞い

3月、10日から13日まで2泊3日のパック旅行の形で母を見舞いに行っていて昨夜10時過ぎに家に帰ってきました。
この三日間は長かかったような短かかったような、いろいろはことがあったような何もなかったような不思議な「時」でした。
さて母のことだけをまとめて記しますと・・・
10日
母は酸素吸入、点滴、導尿、モニターなどなどたくさんの管につながれておりました。
顔色は良く意識もはっきりしていて、もごもごながらなんとか聞き取れる言葉を話すことができ大いに安心しました。まずは顔の無駄毛を剃ってから、主治医に聞いた病状をやさしい言葉に言い換えて説明したり、足をマッサージして乾燥止めのローションを塗ったり。
しきりに何かと食べたいと訴えるので、主治医に相談して買ってきたプリンを半分ぐらい食べました。
起き上がりたいとも訴えましたが、それはかなえることができませんでした。
夕方主治医の先生から経過がだいぶ落ちついてきたので、この調子なら今週末か来週初めに退院して特養老人ホームS苑に戻れるかもしれないと告げられました。
(S苑にはお金を払い続けていれば三か月内だったら戻れるのだそうです。)

11日
母は一日のうちにさまざまの検査を受けています。
その結果、腸が少し動くようになったからとこの日の夕食から点滴をやめ重湯などの流動食をいただけるようになりました。
流動食でもむせるのでとろみをつけるものを混ぜて。
母は今までの三つの施設での体験から「食べる人は元気、長生き」と思っています。そのせいでしょうか、美味しいとはとても思えない流動食をしっかり食べておりました。
この日は10日より寝ている時間が多く、時に目を開けて「広島の牡蠣と海苔が食べたい。」とか、所在なく数独をしている私を見て「あんた何をしよるとね。」などとうわごとのようにつぶやいてはまた寝入りました。
この日は私がしたことはチューブ入りのゼりーを半分ぐらい補食させ、あとはウェットテッシューを使っての清拭など。

12日
母は一段と寝ていることが多くそれも11日より一段と深く眠り続けています。
しかし起こされると目を開けますし、意識の混濁はなさそうです。
何故こんなに眠るのか、主治医の先生にも説明がつかないということでした。
毎日行われるている種々の検査の結果、流動食は重湯から三分粥程度のものになり、酸素吸入はしなくてよくなり、母につながれている管は導尿のものだけになりました。
病院の前に24時間営業のダイエーがあります。
そこに何度も買い物に行っては
水のいらないシャンプー剤を使ってシャンプー
爪切り
看護婦さんのしてくださる清拭の際に新しいパジャマや下着に着替えさせてもらい、脱いだものやタオルを院内のコインランドリで洗濯。
顔の無駄毛剃り。
足のマッーサージ兼ローション塗り
などなど、やっと内容のある見舞いができるようになりました。

午後にS苑から来られた職員三人に病室で主治医からいろいろ母の病状と今後のことについての説明やら要望やらが行われました。
私は飛行機の時間の関係で最後まで聞くことができませんでしたし、また耳が遠いに上に話の輪から離れていたので話の内容をはっきりとは聞き取れませんでしたが、母は今後寝たきりになるだろう、それにともない褥瘡(床ずれ)が起こってくるだろういうことははっきりわかりました。
それに病状が毎日変わるのではっきりとは言えないが、今のところは退院は来来週初めを考えているということでした。


11日、12日の母の様子は私には母にとって一番安穏な道をたどって違う世に向かい始めたのかと思えましたが、今のところ母が苦しまず、痛がらず、穏やかな様子なので、私はあまり心を残すことなく帰ってこられました。