かなちゃんの骨折の手術の記録

11日
朝6時に家を出て、7時半ごろ前日(10日の日曜日、夕方)一時外泊から病院に戻っていたかなちゃんの所に。
同室の女の子(後に四年生とわかる。)は食事中。
朝食抜きのかなちゃんはぽつねんと左手でプリキュアの本をめくっていました。
8時まで飲んでよかった水だけを何回も飲んでいたけど9時過ぎごろから何回か空腹を訴えました。
10時ごろベッドで予備麻酔の薬を飲んで、10時半ごろ手術室に向かいました。
持ち場から駆けつけたかなーママと三人で手術室に入っていくかなちゃんを見送って、かなーママは持ち場に戻り、私たちは待合室に。
(かなーママは手術のクライマックスには立ち会ったそうです。)
11日はあいにく私が8月1日に受けた婦人科の手術の術後100日の診察日に当たっていました。
予約の時間は2時。
二人で交代で院内の7−11まで買いに行ったお弁当で昼食を済ませ、10分、5分とギリギリまで先延ばしして12時15分に後ろ髪引かれる思いでタクシーで最寄りのJR駅に出て三井記念病院に向かいました。
電車に乗ってすぐKからかなちゃんが手術室から出てきたとのメール。

私は術後の診察が終わった後、Sさん(同日に手術を相次いで受け同室に入院していた)と共に違う病気で同室に入院していて今また再入院しているTさんを見舞って、5時ごろかなちゃんの所に戻りました。
嘔吐の後始末中でした。
病室に戻って2時間ほどたって麻酔から覚めて痛いと泣いて痛み止めの座薬をしてもらって2時間ほど眠ってあとお水を飲んだら嘔吐したようです。
そのあとも2回ほど嘔吐しました。が痛みは訴えませんでした。
6時前に勤務が終わったかなーママが病室に来て、入れ替わりに私たちはけんちゃんを保育園に迎えに行き、次女宅に。
Kは何とか見つけることができたカプセルホテルに。
私はけんちゃんと食事、歯磨き、入浴。
8時半頃かなーママ帰宅。かなちゃんは取り置きしてもらっていた夕食を長い間かかって完食したそうです。
私は次女宅泊まり。かなーパパは10時近く帰宅。

12日
ホテルから迎えに来たKと共に7時過ぎにかなちゃんの病室に。
かなちゃんが入院していた病院の食事は量も質も(味は食べてみないのでわかりませんが)とても立派で、この日の朝食は8枚切りの、温めた食パン2枚、茹でブロッコリーとニンジングラッセ添えのシーチキン入りオムレツ、野菜サラダ、半個の冷凍桃、ジョアに、蜂蜜&バター、ドレッシング、ケチャップの三パックがついていました。
かなちゃんはこれをほとんど食べました。
食事ができるようになったからと9時前には点滴のチューブを外してもらい自由に歩けるようになりました。
前日入院した小6、初めから同室だった小4の二人がかなちゃんをとてもかわいがってくれて、お互いの名前の一文字をとって「まみか」トリオを作って楽しく過ごしているうちにあっという間にお昼。
かなーママは風邪気味だから同室の人にうつしてはいけないと病室には全く姿を現しませでしたが、かなちゃんは平気。
昼食はプレイルームで「まみか」トリオで。でも朝食にいっぱい食べたので昼食は半食。私たちは交代で病院近くのカレー屋さんで。
1時ごろ抗生剤を注入したあと、腕の点滴口を外してもらい退院手続。
お支払いは食事代の差額650円のみ。本当の医療費は51万円位だったようですが。S県の制度(子供の医療費無料制度)、すごい!←ほかの県でもそうなのかな?
2時ごろトリオの二人に見送られて退院。
家で一休みして、3時に家を出てマックでおやつを食べて4時前にけんちゃんを保育園で迎えに行きました。
6時過ぎに帰宅したかなーママに申し送りやら報告やらして私たちは帰路に。夕食はRHで。





かなちゃんは結局外からの修復はできず、切る手術になりました。
右上腕に5㎝ぐらいの切り傷ができました。
かなちゃんの入院していた、かなーママの職場でもある病院は、他の病院の紹介状がないと診て頂けない二次、三次のセンター病院です。
それだけに病状が重い人が多く同じ病棟に入院していた子供たちもその小さい体に過酷すぎる重い荷を背負った人ばかりです。
病気も怪我も原因がないもの防げないものもあります。
1週間後受診、1ヶ月後ギブスを外すという経過で、かなちゃんが今後順調に回復していくことをただただ祈るのみです。


今日はきっと元気に保育園に行ったことでしょう。かなちゃんは、退院後一番したいことは「保育園に行く」でしたから。