当たり前

少し前のことだけど、三歳の孫が、当たり前のようにi-Padの画面を指腹でなぞって画を描いたり消したりしているのを見て、
スタートが違う
当たり前が違う
という思いが浮かびました。


三人姉妹の中で、自慢ではありませんが、私は一番高学歴です。
親の働きかけが異なったわけではありません。
両親共にもっと勉強したかったという気持ちがとても強かったので、こと勉学に関する限り止めはしなかったけれど、かといって積極的に勧めることもしませんでした。
勉学に限らず殆ど放任でした。
特に母親は暖かいご飯を腹一杯食べさていさえすれば立派に育つと信じているようでした。
でも私は中一の時に有る先生との運命の出会をして、人生の路線が大きく変わりました。
その先生の勧めで編入した学校は、私が今まで当たり前(普通)だと思っていたことが当たり前ではありませんでした。
新しい環境の中で、それが当たり前、普通ということに押し流されて、ごく自然に姉妹三人の中では一番長い間学校に行く事になっていたのでした。


「大抵の所で当たり前でないことがある所では当たり前」ということで忘れないことがあります。
ある知人が、親類縁者にかの有名なT大卒の方が多い理由を「だってあそこは家から一番近くて徒歩でも行けるのよ。国立で月謝も安いし。」と軽くおっしゃったことです。
あれはいささか驚きの発言でした。


子供は与えらた環境で、実は他の所では当たり前でないことを当たり前と思って育ってしまう。
育てる環境、子供をその中に置く環境はとっても大事な事なんだということを改めて感じている昨今です。