見舞いに

21日、22日パッケージツァーの形で2か月前から入院中の、K(4人兄弟の4男)のすぐ上のKとは三歳違いのT義兄さんを見舞いに行ってきました。

21日

朝2番の電車で羽田空港に。
H空港からリムジンバスでF市に。
F市で昼食を済ませ、電車を乗り継いでE市に。
タクシーでE市民病院に。着いたのは1時でした。
T義兄さんは、もともと痩身でしたがますます痩身になっておられましたが、覚悟していたよりお元気でした。
手術の傷口をみせてもらいました。今頃は縫合の技術が進んでいて、手術からそう日が経っていないにもかかわらず思いのほか生々しくありませんでした。
やがてMR子義姉さんも来られ、2時ごろT義兄さんの部屋を後にし、MC子義姉さんともどもKの実家にいきました。
M義兄(長兄)さんに挨拶後仏壇の義両親をお詣りしてから、あとはず〜っと5人で歓談。
縁あって義姉妹になって数十年にもなると実の妹弟と同じように話が弾みます。
上等のお寿司の出前の夕食を済ませても名残は尽きませんでしたが、7時ごろ私たちはM義兄さんに電車の駅まで送ってもらい、MC子義姉さんはT義兄の所に戻っていかれました。


MR義姉さんは私と同じようにガーデニングが大好きです。
庭を見せてもらいながらゆっくりガーデニングの話もしたかったのですが、つもる話が多すぎてその時間がありませんでした。
でもエントランスを見ただけもでお姉さんのお人柄が庭に良く表れていることがわかりました。
どこも清潔ですっきりしていてどれものびのびと健やかに育っていました。



22日
Kの実家方面に行ったからには足を延ばして是非行きたい所がありました。
それは三年前になくなった大学時代からの友人、MC子さんのお墓。
Kも一緒についてきてくれるというので、SKさんにMC子さんのお墓の場所を尋ねたら、SNHMさんと一緒に同行してくれることになりました。
(MC子さん、MC子さんの夫、SKさん、SNHMさん、私たち2人の6人は、ともに同窓で、同学科、同サークルの同期、先輩、後輩とかの関係で皆既知の仲です。)
F市のホテルを出てJRでH駅に。駅前でSKさん、SNHMさんの両名と落ち合ってSKさんの運転で、予約してあった古民家を改造したレストランで早めの昼食。
その後MC子さんのお墓に。
お墓は日当たりと見晴らしのいい場所にあってとても立派でした。
その後MC子さんが老後を過ごす場所として購入、家業を手伝う忙しい日々の中で時間を裂いていろいろ手を入れて改造していた古民家のほうに移動しました。
MC子さんを偲びながら広い庭(ほとんど往時のままでした。きっとMCさんの夫さんのご尽力のおかげでしょう。)を散策していると、誰かが古民家の玄関と廊下の鍵が開いているのを発見。
それは、私たちが行くことを前もって連絡していたのでMCさんの夫さんが気遣いって下さったに違いないということになって、4人、中に入って立派な仏壇を拝みました。
MCさんの夫さんは午前中の仕事が終わったら特別のことが起こらない限り古民家のほうに行くというようなことを言っておられましたので、ぎりぎりの時間まで待ちたいという気持ちもあったのですが、SKさん、SNHMさんに促され、2時20分ごろそこを出てH駅に送ってもらいました。


↑MC子さんの別宅(古民家)の庭
MC子さんは私が行く度にSKさん、SNHMさん、近くに住む、同窓、同期のOKTさん(男子)に声をかけくれて、この庭で楽しい時間を過ごさせてくれました。